東日本大震災から10年

Fumi
27 min readMay 5, 2021

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東日本大震災から10年。。。この10年を振り返ってみることにしました。

3月11日、当日

2011年3月11日、私はアメリカのオースティンにいました。South by Southwest (SXSW) というカンファレンスで、スピーカーとして登壇するために飛行機に乗り、ご飯を食べてホテルでパソコンを開けたら安否確認のメッセンジャーが次々に飛び込んできて、日本で何が起きているかを知りました。日本から飛び込んでくる津波の恐ろしい映像やツイートを見ながら、一体自分はこんな安全なところで何をやっているのだろうという罪悪感に苛まされたり、何もできずに見守るしかない無力感を感じたり、ごはんが喉を通らなくなったり、わんわん泣いたり。

そんな中でもSXSWに来ていた有志の方たちが、発災がオースティン時間の深夜だったにも関わらず、”SXSW Cares”として朝までには募金サイトを立ち上げ、10万ドル以上の寄付を集めたりしてくださっていて、勇気づけられました。

私が登壇するセッションは日本のテクノロジー業界に関する物だったので、冒頭に黙祷を捧げてからパネルディスカッションに入りました。

当時のブログ “SXSW Cares (For Japan)

アメリカからの一週間

アメリカにいる間から、日本の皆さんと連絡を取りながらいろいろなことを準備し始めました。Google 東京オフィスの皆さんが Crisis Response の活動を発災直後から開始ししており、それらを13日にまとめたのがこちら。

東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)を受けて

その後、被災地支援のため、40個ぐらいのサービスが次々と立ち上がりました。当時の Google 社員たちの獅子奮迅を綴ったのがこちらの記事。

東日本大震災と情報、インターネット、Google

Google Person Finder がめちゃくちゃ役に立っているらしい。だったらPerson Finder API も役に立つのではないですか、という連絡をエンジニアの花岡さんからもらいました。当時、このAPIのドキュメンテーションは英語しかなく、通常のローカライゼーションのプロセスを通しているとものすごく時間がかかってtoo lateになる。だったら、ということで花岡さんに協力してもらって、翻訳を13日に、データモデルの各フィールドの説明を15日に、それぞれブログで非公式に公開しました。

Google Person Finder API のドキュメンテーションの翻訳について

Google Person Finder API のドキュメンテーションの翻訳について 2

この頃は日本のいろいろな人達とやりとりしており、そのうちの一つが後に Hack for Japan となる活動で、立ち上げに向けてTakuyaさんとヘビーにやりとりしていました。被災地に向けてテクノロジーを使って支援をできることはないか、たくさんの開発者の皆さんが考えていた。その力を結集して、立ち上がろう。

3月17日に、日本に帰国しました。既に福島原発の事故のことはアメリカでも数多く報道されており、SXSWに来ていた日本人の多くは、帰国を取りやめていて、オースティンから日本に向かう飛行機は私以外、ほぼ乗客がいませんでした。なんで日本はこんなことになっちゃったのかなあと、飛行機の中で泣いた。飛行機に乗るまではほぼ24時間体制だったのが、2011年当時はまだ機内wifiとかも普及してなかったので、機内では久々に完全オフラインに。飛行機が日本に到着したら「空港についたらまず電話して!」というメッセージが複数のGoogleの同僚から入っていました。色々起きていることを片付けながら、六本木のオフィスに向かう。正直、帰国するのが正しいのかアメリカから支援した方がよいのか、自分でも正解がわからなかったのだけれど、オフィスで待ち構えていた根来さんに「帰ってきてくれてありがとう」とハグされて、帰国して正解だったんだと腹落ちした。ちなみになんで日にちまで覚えているかというと、この日は誕生日だったから。誕生日どころではなかったし、人生で一番大変な誕生日でした。

Hack for Japan 立ち上げ

帰国してまず取り組んだのが Hack for Japan の立ち上げでした。「東日本大震災に対し、自分たちの開発スキルを役立てたい」というIT開発者の皆さんと発災直後からあれこれ話していて、テクノロジーで何か支援ができるかもしれないから、ハッカソンをやろうということで Google API Expert (当時、今のGoogle Developer Expert)の皆さんと何をどのようにできるか話し合い、日本各地の GTUG (当時、今の GDG こと Google Developer Group )のリーダーの皆さんとどこで開催ができるかを相談しました。東京は当時停電も起きていたし余震もあって人を集めることができないので、メイン会場は京都に決め、京都に向かいました。そして、その週末3月19日から3月21日にかけて、オンラインアイディアソンと4拠点でのハッカソンを急遽開催することにしました。

2011年3月:“Hack For Japan” 開催のお知らせ

2011年3月:Hack For Japan Hackathon を開催しました

2011年3月:Hack For Japan 第一回の舞台裏

Google, Yahoo, Microsoft, Twitter, Salesforce, Amazon, 楽天等々、通常だと競合と位置づけられているtech企業が一丸となって開催したという点でも、意義深いものになったと思います。

Hack For Japanでは、その後もミートアップやハッカソンを開催しました。

2011年5月:第二回 Hack For Japanについて

2011年5月:Hack For FukushimaとSafeCastとJoiのMIT Media Lab 所長就任と

2011年7月:Hack For Japan: 遠野に行きませんか?

2011年7月:7月に開催した Hack for Japan in 遠野

2011年8月:Hack For Japanの軌跡 — Japan Innovation Leaders Summit 2011 8.6 satから

2011年9月:XDev2011 で Hack For Japan について講演してきました

Hack For Fukushima で福島に行ったときに、現地の方たちの「放射能に関する正しい情報が欲しい」「本当の数値を自分の目で見たい」「うちの娘は嫁に行けるのか」という悲痛な声が胸に刺さったのを覚えています。

Hack For Japan のメンバーのみなさんとはほぼ毎年3月11日にはオンライン近況報告会を行っており、2021年3月にも開催しました。10年たつとだいぶ会社も変わっていたりして、みんなそれぞれ頑張ってます。。。!

2021年9月のCode for Japan Summit 2021で、「東日本大震災から10年、Hack For Japanとしての活動を振り返る」というパネルディスカッションをさせていただきました。

Go North

Hack for Japan ハッカソンは開催したものの、やはり現地に行かないと本当に必要とされている物はわからない。発災直後は自衛隊等以外は来ないでほしいということだったので、現地に行けるようになるのを待ち、4月6日・7日に仙台と岩手を訪れることになりました。

そこで、4月7日23:35に東北を襲ったマグニチュード 7.4 震度6弱の、3月11日後最大の余震の洗礼を北上の地で受けることになったのでした。街の明かりがすべて消え、唯一光っているのが鉄道の駅の非常灯と車のランプ。電気も水道もガスも止まり、信号も真っ暗に。

2011年4月:4月に仙台と岩手に行った時の話

被災地から避難している自治体の方にも色々お話を伺ったり、お手伝いをしている中で、自治体職員の皆さんが大変だということを痛感しました。とにかく寝耳に水の原発事故、町の全員が避難することに。「市民の皆さんには梅干しとかのおにぎりを。腐りにくいのでね。肉が入ったおにぎりとかは腐りやすいので、職員は腐ったおにぎりを食べてるから、すぐにわかるようになりました」

当時、被災自治体の皆さんにとって便利だったFusion Tableの使い方を教えるととても喜ばれ、ときどき東北から携帯に質問の電話がかかってきていました。ある日、そんな質問電話をかけてきた自治体の職員さんが沈黙した後ひとこと。「愚痴を聞いてもらってもいいですか」聞けば、日中は役所で市民からのクレームを一日聞き、夜は自宅で家族からのクレームを聞き、自らの愚痴は誰にも言うことができなくて非常に辛いという。自治体の職員さんへのケアも大事なんだと思いました。

2011年4月:TEDxEarthQuake9.0の運営お手伝いと講演。

2011年の7月23日と24日に「Hack For Japan in 遠野」というイベントを開催するために遠野を訪れ、更には沿岸部の釜石や大槌などに行きました。沿岸の街は、壊滅的でした。以前、街があったはずの場所が、3月には瓦礫の海になり、私が訪れた7月には、撤去された瓦礫の山と、街だったはずの場所に無人の土地が広がり、車が道路を通過していくのみ。何もなくなっていました。

「ここ、全部街だったんですよ。戦争で爆撃を受けたみたいに何もないんですけど。。。昔は建物がいっぱいあったから、こんな風に海なんて見えなかったんです。」

遠野まごころネットの皆さんとの貴重な出会いもHack for Japan in 遠野からでした。

2011年7月:7月に開催した Hack for Japan in 遠野 #hack4jp

2011年7月:7月に行った東北の話

2011年9月:遠野まごころネット 6ヶ月報告会に行ってきた

2012年4月:「復興支援検証会議」をまとめ直してみた

2012年2月:気仙沼を訪れた時のブログ「311から11ヶ月〜気仙沼」まだまだ陸に転がった船や津波にやられた町並みや瓦礫の山もありました。

2012年4月:山元町・石巻・女川などを訪問。まだ瓦礫だらけな山元町、整理が進む石巻、区画整理まで終わっている女川の違いがわかります。

2012年10月:大槌・大船渡・釜石・陸前高田などを訪問。

2012年10月版:大槌の城山公園からの風景。

2013年には本社転勤のためアメリカに引っ越し。

Google Crisis Responseのみなさんとは、2021年3月にものすごくひさしぶりにオンライン同窓会に参加させていただきました。あの頃のことが思い出されました。。。!

復興ハングアウト

2012年4月。

被災地を回っている中で聞こえてくる、「テレビ局が来てくれたけど、ディレクターが言ってほしいことを言わされて、本当に伝えたかったことはカットされてしまった」という言葉。インターネットなら、「被災地住民の方、復興支援活動に携わる方々の生の声を伝える」ことができるのでは。ということで、「復興ハングアウト」という取り組みを、根来さんと企画し、REIC(リアルタイム地震・防災情報利用協議会)さんに協力をお願いして開始しました。

2012年4月 第一回復興ハングアウト「被災地復興の挑戦と現実。ラジオが届けた情報と地域の絆」

2012年6月 第二回復興ハングアウト「気仙沼仮設商店街の現状と今後に向き合う」

2013年4月に開催した第三回から2014年2月に開催した第十三回までは「東日本大震災3年目の課題」シリーズとして、 「被災地の産業復興について」、「コミュニティの再生」、「地域コミュニティにおけるラジオの役割」など、さまざまなトピックを取り上げました。アーカイブはこちらからご覧いただけます。

2013年6月「復興ハングアウトと只見町とオープンガバメントについて

2013年8月「復興ハングアウト 観光復興への道

10年たって、Google+がなくなり、復興ハングアウトで発信してもらっていた多くの情報がなくなってしまいました。

Big Tent Sendai

2012年7月。Google主催で自然災害と IT 活用に関する国際会議 「Big Tent Sendai を開催。

Big Tent Sendai の動画

また、このときはLiquid Galaxy を使って、Google Earth のタイムマシン機能で7枚のディスプレイのうち正面一枚を2009〜2010年の被災前、それ以外を全て被災後の様子が見られるようにし、簡単に被災前と被災後が比較できるような展示をしました。

そういえば、Liquid Galaxyはその後オープンソース化されたのでした。

Android Bazaar and Conference 2012 東北

2012年10月。Android Bazaar and Conferenceが仙台で開催され、参加してきました。

ICT ERA +ABC 2012 東北

どのように自然災害に対してテクノロジーで貢献できるかが色々語られました。身元不明なご遺体がたくさんあったのを、歯科X線画像照合で判明させるため、沖縄から北海道まで、全国 2,000 人以上の歯科医師さんが仕事を休んで、ボランティアで身元確認をやってくれた話。「支援物資が来るが、さばく人がいない。需給が合ってなくて足りない所余っている所があった。それを見た小学生がパソコンを使って足りない物、余っている物をネットで調べて貼りだしていった。小学生でもパソコンがあれば活躍できる。」みたいな事例とか。

開催翌日は、有志で石巻や牡鹿半島、女川などの被災地をまわり、復興の状況を視察しました。

多くの犠牲者を産んでしまった大川小学校。

なお、このABCの懇親会で、東北TECH道場の立ち上げをアナウンスしました。

東北 TECH道場

2012年10月。GOGAの小山さんにご協力いただき、「東北TECH道場」を立ち上げました。

2011年から2012年にかけて、東北を訪れる中で、よく耳にしたのは若者たちの未来への不安。津波で工場が破壊され、放射能で漁業が、津波の塩害で農業が被害を受ける中、自分の住む町で将来的に仕事はあるのか。また、当時GoogleでDeveloper Relationsをやっていた私の元には、Googleプログラミング学校を作って欲しいという要望があちこちから来ていました。ただ、長続きをさせるには、Googleが一時的に東北に行って学校を作るのではなく、学びたい人と教えたい人が集まる「道場」を作ったほうがよいのではないかと考え、立ち上げたのが「東北TECH道場」です。

東北 tech 道場開催のお知らせ

東北Tech道場:オンライン講座を始めました

復興バー(東北TECH道場Night)に行ってきました

東北TECH道場は脈々と東北の各地で開催され続けており(昨年からは新型コロナウィルスの影響でオンライン開催が主になりましたが。。。)10年目を迎えた2021年3月、「東北TECH道場の同窓会」を開催しました。

当時道場に来て初めてコードを書きましたなんて言ってた高校生がエンジニアとして独り立ちしていたり、道場生だった高校生が大学生になって別の道場の道場主になった後に就職して講師として参加してくれていたり、道場主の経営する会社にエンジニアとして就職する道場生が出てきたり。東北TECH道場を通じてエンジニアとして生きていける若者を一人でも作れればと立ち上げたものだったので、本当によかった。

東日本大震災ビッグデータワークショップ -Project311-

2011年、震災が起きた当時は、誰もが「今」起きていることに対処することで必死で、後々のことを考えるような余裕はありませんでした。でも、東北では30年に一回大地震に襲われています。日本全体で考えると、南海トラフや首都直下地震の危険性も指摘されている中、東日本大震災の当時をデータで振り返った時に、本当に必要なサービスは何だったのか、次の災害に備えるために、今我々はどんな準備をすればよいのか、改めて検証する機会を作ったほうがよいのではないか。

2012年9月。そんなことを考え、賀沢さん・牧野さんと一緒に立ち上げたのが 「東日本大震災ビッグデータワークショップ -Project 311 -」でした。

震災発生から1週間の間に実際に発生したデータを、色々なデータをもっている会社に呼びかけて提供してもらい、ワークショップの参加者を募り、参加者の皆さんはそのデータを改めて分析することによって、今後起こりうる災害に備えてどのようなことができるかを議論したり、サービスを開発したりするというものでした。

“東日本大震災ビッグデータワークショップ — Project 311 -” 開催のお知らせ

提供データは以下の通り。

  • 3月11日から1週間の朝日新聞記事(提供:株式会社朝日新聞社)
  • Google Trends (提供:グーグル株式会社)
  • 東日本大震災直後のテレビ放送テキスト要約データ (提供:JCC株式会社)
  • 3月11日から1週間のツイート (提供: Twitter Japan 株式会社)
  • NHK総合テレビ大震災発災直後から24時間の放送音声書き起こし及び頻出ワードランキング (提供:日本放送協会)
  • Honda インターナビ通行実績マップデータ(提供:本田技研工業株式会社)
  • レスキューナウの鉄道運行情報/緊急情報/被害状況のまとめ情報(提供:株式会社レスキューナウ)
  • 混雑統計データ(提供:株式会社ゼンリンデータコム)

もちろん、これ以外のデータを使うのもありです。

プロジェクトの一覧はこちら

報告会のまとめ

報告会で発表した各プロジェクトの概要やスライド、動画

Project311- About the Data

Project311- Comments from Mr. Suzuki from Kesennuma

Project311- Comments from Professor Murai

Project311- Project Hayano

NHKさんのサイトに残ってた!「NHKスペシャル ”いのちの記録”を未来へ~震災ビッグデータ

Project 311では放射能のデータに関する発表もありました。2012年7月には国会事故調による事故原因究明のための調査結果も公開されました。10年経った2021年3月、「Fukushima50」を見ることで、現場を知りました。

Lessons learnedでいうと、「浪江町と政府のシステム調達」みたいな事例は、もっと知られてもよいのではないかと今でも思っています。

Ingress Anomaly in Ishinomaki

2013年7月。根来さん・ともみんの企画に参加してマッピングのボランティアで釜石に行くことに。沿岸部は津波のため、元あった建物がなくなり、復興に伴い新しいお店があちこちに作られていて、地図データをアップデートしないと現実と全然合ってない。グループにわかれて、現地の皆さんと一緒に釜石の町を歩いて、そうした新しいお店を訪問したりする中で地図をアップデートしていくという活動を行いました。

また、鵜住居などの被災地訪問も行いました。

このボランティアに行く時に、ふとIngressのIntel Mapを見てみたところ、釜石には一つもポータルがなかったのです。エージェント達は世界中を旅しながらプレイをしている。東日本大震災の被災地は、2013 年の時点では風化を止めたい、経済を復活させたい、人に来てほしいという課題を抱えている。

じゃあ Ingress をきっかけに人が東北に来るような施策を打ったらどうだろうということで当時唯一の日本人NianticチームメンバーだったMasaさんに提案したら、2014年5月に実現してくれたのが「Ingress Meetup @ Ishinomaki」「#Interitus XM Anomaly Primary Site: Ishinomaki」です。私も20%プロジェクトとして、運営のお手伝いをさせていただきました。

2014年5月:Ingress が石巻にやってくる!

肉眼で見ると、建物が津波でやられて何もなくなっている。でも、Ingressアプリのスキャナーの中では、「キオクのポータル」としてそこを津波が襲う前の姿を見ることができる。

アノマリーで戦ったほか、東日本大震災の献花台で祈りを捧げたり、復興バーにいったり、Mission Dayで石巻の町を歩いたりしました。このときは被害が大きかったエリアはゲームをしながら歩くべき場所ではないので避け、日和山のような海岸部を一望できるところや中洲などから津波の爪痕を見ることになりました。

懐かしのサン・ファン・バウティスタ号。ここからハワイにリンクを張ったのでした。

当時はGoogle Social Impactチームで働いており、Nianticとは関係ない一エージェントとして無邪気にJohnとツーショットとか撮ってたようです(笑)まさかNianticで働くことになるとは。。。

国連防災世界会議

2015年3月。仙台で第三回国連防災世界会議が開催されるとのことで、上司のStephやGoogle Crisis Response のチームメイト達と共に仙台へ。

会議の後、石巻や女川、山元町の復興の状況を視察しました。

この直後、Stephはヒラリー・クリントンのCTOになると言ってGoogleを退職。折しもアメリカの大統領はドナルド・トランプになるのかヒラリーになるのかという重要な選挙戦。そしてまさかのヒラリー敗北。2020年、世界中がコロナ禍に見舞われる中、GoogleとAppleはContact Tracing APIを開発。Stephはこれに取り組むためにGoogleに戻りました。そして大統領はジョー・バイデンに。5年で本当に色々ありました。。。。

ポケモン GO in さんりく

2018年10月。Nianticに入社し、2019年に向けて東北復興イベントを企画するための視察のために岩手へ。岩手県の皆さんにご案内いただき、釜石から大槌、山田町、宮古、浄土ヶ浜、田老港、十府ヶ浦を経て久慈まで沿岸部をあちこち視察させていただきました。きれいな海。復興途上の風景。震災遺構。ワールドカップに向けて整備されたラグビー場。多くの方が東北を訪れるきっかけを作るには、どこでどんなイベントをやるのがよいのか。色々考えました。

2018年10月版:大槌の城山公園からの風景。

2019年7月。岩手県と三陸鉄道リアス線の開通を記念したポケモン GO in さんりくを開催し、『Pokémon GO』のゲーム内でイシツブテやいわタイプのポケモンが出現するイベントや「GOスナップショット」を使ったARフォトコンテストを開催しました。

期間中は私も現地におもむき、ポケモン社さんが提供されたイシツブテのラッピング電車にも乗車。

イシツブテは、全力で岩手県を応援していました。透過の足、最高。

2019年7月版:大槌の城山公園からの眺め。かなり復興しています。

釜石で電車待ちがてら歩いていたら、奇跡の出会いが。今回いつどこに行けるかもわからなかったので誰にも伝えてなかったのですが、道の向こう側に偶然西条さんが。。。。!釜石のマッピングボランティアにもHack for Japan in 遠野にも参加してくださり、2012年当時の被災地を案内してくださり、東北TECH道場の釜石道場を立ち上げてくださった西条さんがたまたま通りがかったのです。すごい!

また、2019年7月に福島県で開催された「ふくしま&ラッキー桃まつり」では、「GOスナップショット」を撮影するとラッキーがフォトボムで登場するイベントや「GOスナップショット」のコンテストを開催し、宮城県では「ラプラス+宮城巡り」を機にポケモン GO でラプラスが出現するイベントを開催しました。

2021年、3月。あれから10年がたちました。

東日本大震災から10年を迎えるということで、「人を動かす」会社Nianticで復興支援として何ができるかと考えていたのですが、コロナ禍の中で人を動かすわけにはいかない。ということで、やることにしたのが、「Niantic 東北の思い出・お店再発見プログラム」。現地の皆さんのビジネスや地域経済活性化をサポートできる機会を増やせるよう、岩手県、宮城県、福島県の各県100店舗のオーナーの方々に、ポケモンGO のゲーム内にポケストップやジムとして登場する機会を6ヶ月間無料で提供。また、状況が落ち着いたらまた東北に足を運べるよう、現地のプレイヤーの皆さんオススメのPOIをブログで紹介しました。

東日本大震災:10年目にあたって

2021年3月にオンラインで開催されたSafecastの 10th anniversary イベントで、千晶さんが「放射能の半減期は30年。放射能に関わるということは30年かかるんだけど、Safecastをサポートしてくれないか。と誘われた時、プロポーズみたいだと思って気に入ったのを覚えています。そういう意味ではまだ10年しかたってない。」と話していました。もう10年だけど、まだ10年。

2011年当時、トライポッドワークスの佐々木さんが「この震災の復興には時間がかかります。被災直後に必要なこと、半年後に必要なこと、一年後に必要なこと、10年後に必要なことはきっと違う。その時々に必要なことで支援してください」とおっしゃっていたのを思い出します。

たぶん、まだ必要とされていることはある。

while(Japan.recovering){
we.hack();
}

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Written by Fumi

Currently explorer. Ex-Niantic, ex-Google, ex-NTT, ex-Interscope, ex-Technorati and ex-Digital Garage.

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