#ふくしまチャットウォーク day2

Fumi
Nov 4, 2023

--

ふくしまチャットウォーク、2日目はいよいよ富岡駅から天神岬まで、約15キロ歩きました。

まずは1日目に福島の原発事故について学び、楢葉町、浪江町、双葉町、大熊町、富岡町、広野町と各地を車で巡って復興の現状を見る。

一日目の様子はこちら

2日目は自分の足で歩いてあちこち見ながら地元の皆さんと交流し、お話を伺うことで復興の現状を知る、という構成になっていました。

2日目:チャットウォーク

富岡駅でルートを確認し、準備運動。集合写真を撮って、歩き始めます。

秋らしくみかんや柿がなっていたり、ススキやセイタカアワダチソウが風に揺れていたりと平和そのもの。

歩いていると、あちこちにたくさんのソーラーパネルが。二段式で、ソーラーパネルの下の土地が使えるバージョンもありました。放射線のモニタリングポストもあります。

波倉海岸へ。このあたりも、津波で家は流されてなくなっていました。今はクロマツが植えられており、いずれ松林になっているでしょう。

産業廃棄物の中間処理施設。壁には子供たちが描いた絵がたくさん飾られていました。

ランチは楢葉町の「なら福」で美味しいお魚定食をいただきました。処理水放出での風評被害もあるため、お魚を食べるのも支援になります。

復興公営住宅がずらっと建ち並びます。

楢葉町の交流館「ならはCANVAS」で休憩。展示されたお習字から、有給休暇がとても欲しい皆さんの強い思いが伝わってきます(笑)

ならはCANVASの2階はコワーキングスペースになっています。和室の土台になっている立派な木材は震災で取り壊された家の柱が使われているそうです。

こちらは木戸川の「簗(ヤナバ)」。鮭が登ってくるのを捕まえ、稚魚を育てて放流するそうです。

波倉神社や龍田神社、北田天満宮などに立ち寄りながらゴールを目指します。昨日夜景を見た火力発電所が見えてきました。

ゴールの天神岬に到着!ここも10メートルの津波が来たそうです。遺跡もあります。

集合写真を撮り、「アイスショップ ウィンディーランド」でジェラートを食べ、「天神岬温泉しおかぜ荘」の海が見える露天風呂温泉で疲れを落としました。福島応援ポケモン、ラッキーの自動販売機も発見。

晩御飯はバーベキュー。楢葉のお酒「楢葉の風」や楢葉名物のゆずを使った「ユズサイダー」もいただきました。

地元の方のお話

チャットウォークは「ゴールに辿り着くまでに、全員と話しましょう!」とのことで、一日を通じて色々な方のお話を伺いました。いくつかのエピソードをご紹介します。

・北海道から楢葉に移住してきて、建設コンサルティング会社で働いている方。北海道は寒かったが、福島は気候がいい。まちづくりの仕事をしているとのことですが、ここはまさに今どんどんまちづくりしているので、やりがいがありそうです。

・東京で演劇をやっていたが、コロナで劇場に集まる形での演劇ができなくなったため、「演劇に本当に必要なのは何か」と問い直し、富岡で「ウォーキングツアー」という新しいカタチのパフォーマンスを始めた方。なぜ富岡で始めたのか聞くと、富岡は「境界の町」だからだといいます。

富岡は福島第一原発と第二原発の間に位置し、両原発から電力を供給して首都圏に送電するための「新福島変電所」があります。いくら原発があっても、この富岡の変電所がなければ電気は首都圏に来ていなかったわけです。

富岡では原発事故後、避難指示の時期を経て、今も復興工事や除染作業による建物の解体が行われています。全くの更地もあれば、草の生い茂るグラウンドもある。建物の基礎や土台だけを残した敷地もあれば、半壊し朽ちていくにまかせる家屋もある。無傷の廃墟もあれば真新しい集合住宅も。。。と10年の歳月が斑模様に見透せる空間となっています。

更に時を遡ると、かつては「標葉氏」と「楢葉氏」の境界として、南北朝時代以降は「岩城氏」と「相馬氏」の境界として、くり返し領土争いが行われてきた。江戸期には、いわき平藩の北端となり、また棚倉藩や多古藩、仙台藩などによって分割統治され、幕府の直轄地となるなどの変遷をたどりつつも、街道の重要な交易拠点として、近世以降栄えてきた。幕末には戊辰戦争の戦場ともなった。

同じ場所でも、時代をスライスすると色々なエピソードが浮き上がってくる。ウォーキングツアーでは歩いて場所を移りながら、様々な時代の富岡をたどることができるそうです。

・楢葉で生まれ育ち、原発事故以降引っ越していたものの、最近リモートワークが可能な会社に転職して、楢葉に戻ってきたというIターンの方も。チャットウォークではまさに地元なため、「子供の頃、ここは私の通学路でした」とか、「ここは震災前はこうだったんですよ」など、色々教えていただくことができました。

震災時、お父様が第二原発で働いていたそうです。地震と津波で福島第一原発と第二原発は両方危機的な状況に陥り、結果的に第一原発は水素爆発を起こしてしまったものの、第二原発は電力供給が間に合って爆発を起こさずに済んだ。お父様はケーブルを敷く仕事をしていたとのことで、まさに今回の事故対応の要の作業。第二原発は第一より首都圏に近いこともあり、第二も水素爆発を起こしてしまっていたら。。。と思うとぞっとします。

東京に帰宅してから、第二原発のケーブル敷設について調べてみたところ、当時の苛烈な状況が見えてきました。

除熱機能を喪失、ギリギリの復旧作業福島第2原発で何が起きたか(上)

すし詰めの免震棟、異様な雰囲気福島第2原発で何が起きたか(下)

3月11日、地震や津波が発生。3本の送電系統のうち原子炉建屋に繋がる2本を喪失、非常用ディーゼル発電機が機能を喪失し、1、2、4号機で原子炉の冷却機能が喪失。 3月12日、1号機の圧力抑制室の温度が100℃を超え、原子力緊急事態宣言が発令された。 3月13日、外部電源が唯一生き残った廃棄物処理建屋から海水熱交換器建屋まで、僅か200人で、800mに及ぶ距離、幾重にも張り巡らせる必要があるため総延長9kmにも及ぶケーブルを手で抱えて決死の人海戦術。通常なら1ヶ月かかる作業を1日で行った。14日午前1時過ぎに、ベントまで残り2時間というところでからくも電源が繋がり、冷却機能が復活し、全ての原子炉が安全に停止。

その後も危機は続く。3月14日に第一原発の3号機が爆発。第二原発でも空間放射線量が高まった。東電の各支店から応援に駆けつけていた配電部門の社員は引き揚げを希望し、一通り引いたケーブルに冗長を持たせる作業は福島第二原発の人だけで実施。「線量が上がるなか、全面マスクとタイベックス(白い防護着)でつらい作業だった」と復旧作業を率いた吉田嘉明・保全部長は語る。

第二原発の当時の様子を2014年に振り返った映像が残されていました。第一原発の事故の教訓はもちろんですが、第二原発を守りきった話も受け継がないといけないと思いました。

3日目:ワークショップ

3日目はワークショップ。会議室で、2日間見てきた場所をマップにし、写真やコメントをマップに追加し、みんなで感想を述べあい、道の駅でお土産を買って帰宅の途につきました。

今回の宿泊は、広野にある「双葉邸」というホテルと連携したADDressの広野拠点に泊まりました。広いホテルながら、大浴場がひとつで、16–18時を除くとほぼ一日中男性用でびっくり。社長さんのインタビュー記事が見つかったので読んでみました。なるほど、復興工事関係者の方がプレハブ宿舎に泊まっているのを見て、美味しいごはんが食べられて、きちんと体を休められる宿を作りたいと思って建てられた宿だったんですね。工事関係者は男性が多そうです。

新型コロナウイルスの感染拡大もあり、復興工事関係者の需要が落ち込んできているとのこと。そんな中でADDressと提携することで、新しい層が訪れるようになるのかもしれません。

福島県双葉郡のとあるビジネスホテルの挑戦。

弊社初のビジネスホテル「ホテル双葉邸」を双葉郡広野町に開業したのは2015年5月になります。その時期というと、避難指示区域の放射線量によって区域の見直しが終わり、復旧・帰町に向けた動きが本格化する時期でした。広野町というのは双葉郡の南端に位置していて、避難指示が出ていなかったこともあり、復興工事関係者の拠点が多くありました。プレハブ型の宿舎や簡易ホテルなどが多くあったのですが、なんとなく違和感を感じていました。宿泊業を立ち上げるまでは私は料理人だったのですが、客商売というものは、お客さまに美味しいものを提供して喜んでもらうのが大前提です。ビジネスホテルといえど、工事関係者の方にとってもきちんと美味しいごはんが食べられて、きちんと体を休められるそんな宿を作りたいと思ったんですね。プレハブの宿舎は作れないと。そのようなことを考えてできたのがホテル双葉邸でした。民間業者のビジネスホテルとしてはかなり先駆けであったと感じています。美味しいごはんや快適な客室だけでなく、フロントの先の八角形のスペースにはそれぞれ双葉郡8町村のお祭りの写真を掲げ、双葉郡の文化や伝統を伝える場所も作りました。久々に戻ってきた地元の方には懐かしいねと声を掛けていただくことも何度もあります。

東京行きの常磐線に乗る前に少し余裕があったので、いわき駅のすぐそばにあるADDressのいわき拠点に立ち寄りました。「GuestHouse & Lounge FARO iwaki」との連携になっており、一階がラウンジカフェになっているので、コーヒーで一服。ちなみにこの大きな机、オーナーさんが自分で木材を調達し、レジンで塗装し、足をつけて作った物なんだそうです。すごい。階段の壁はレンタル本棚になっています。

海を旅する人たちが道しるべとしたように、都市にも「灯台/FARO」が必要だ。そこに暮らす人や旅人が集い、出会いが生まれる、そんな灯台が。(「FARO」とはイタリア語で灯台を指すことば)。 私たちの考える灯台とは、足元を照らすだけではありません。旅する人、この町に留まる人、新しい風、受け継がれてきた土、その土で育てられた作物、地域の食、人の想い。さまざまなものが集い、出会い、語り合い、その時間を通じて、次に目指すべき場所が浮かびあがる。そのような場所です。どうぞ、FAROを目指して、いわきへお越しください。ここで過ごす時間は、きっと、あなたの次の目的地を照らしてくれるはずです。

おわりに

実に濃密な3日間で、学びがたくさんありました。この旅を企画してくださったADDressと福島相双復興推進機構の皆様に厚く感謝申し上げます。

完成した「【みにきてふくしま!】福島12市町村MAP」はこちら。一日目の視察で訪れたところや二日目のチャットウォークで立ち寄ったところなどがまとめられています。今後福島に行く方々の参考になれば幸いです。

自分も福島を歩いてみたいと思った方、福島県新地町からいわき市までの200km超を歩く「ふくしま浜街道トレイル」が開通したそうです。豊かな自然と地域の歴史と文化を自分の足で歩きながら見ることができるとのこと。

ぜひ「今のふくしま」を訪れてみてください。

--

--

Fumi
Fumi

Written by Fumi

Currently explorer. Ex-Niantic, ex-Google, ex-NTT, ex-Interscope, ex-Technorati and ex-Digital Garage.