ADDressと福島相双機構主催による「ふくしまチャットウォーク」というイベントに参加してきました。
ADDressとは:
全国に数百か所ある生活拠点を手軽に利用できる住まいのサブスクサービス。
福島相双復興推進機構とは:
国・福島県・福島相双復興推進機構(民間)が一体となって被災事業者の自立に向けた支援を行う公益社団法人。
- 東日本大震災により被災し、福島第一原子力発電所及び福島第二原子力発電所事故に伴う避難指示等の対象地域となった福島県内12市町村[田村市、南相馬市、川俣町、広野町、楢葉町、富岡町、川内村、大熊町、双葉町、浪江町、葛尾村、飯舘村]の復興・創生
- 「東日本大震災当時、当該地域において事業を営まれていた方々」「浜通り地域等において水産関係の仲買・加工業等を営む方々」の事業再開・継続
- 東日本大震災当時、当該地域に居住されていた方々の生活再建等
に寄与
3日間の日程で、1日目は各地の視察。2日目は地元の皆さんと富岡駅から楢葉の天神岬まで15km、色々なお話を伺いながら歩き、3日目はワークショップを行って東京に帰るという日程です。
1日目、福島に到着したらお昼時だったので、まずは楢葉町の「陽なたぼっこ」というレストランでランチ。たっぷりの前菜プレートと楢葉町名物の藍染めの藍が入ったカレーを頂きました。美味しかったです!
東日本大震災・原子力災害伝承館
続いて双葉町の「東日本大震災・原子力災害伝承館」を訪問。 原発建設前の状況から震災前・当時とその後の状況、事故直後の対応や避難生活、除染などについて、映像や展示、証言などを通じて学ぶことができる施設です。
地震・津波・原発事故発生当時の映像とアニメーションで震災や事故のこと、復興のことを学べる映像が壁と床に投影されます。(ここの映像だけ撮影禁止)
第二次世界大戦後、高度成長期を迎えた日本。 1957年に常磐に火力発電所ができ、1967年に福島原発建設に着工。1971年、たった4年後に運転開始。石油危機が起き、1979年・1986年にスリーマイルやチェルノブイリといった原発事故が起き。。。といった時代背景をたどることができます。
また、2011年3月11日14:46からのタイムラインは細かくどこで何が起きていたのかを追うことができ、現在の避難指示解除に至るまでの道のりも知ることができます。
案内してくださった職員の方は当時役場で働いていた方で、当時役所の中で様々な情報に混乱・翻弄されながら働いていたときのお話を生々しく伺うことができました。
原発事故の前の生活や原発に対するうけとめ、原発・津波が起きたとき、直後の避難の様子の資料や証言映像などが展示されています。
原発事故後の除染の様子。
空間線量率の推移(原発前、原発直後、現在)、避難者数の推移や農作物の価格の推移。
当時のオフサイトセンターに置かれていたホワイトボードの様子の展示。
各地の事故当時と2020年の写真で復興の様子がわかります。
当時の写真も多数展示されています。
屋上からの眺め。津波被害で一帯が更地になっています。
ここに掲載したのは展示物のごくごく一部です。興味を持った方は、ぜひ現地に足を運んでみてください。
続いて震災遺構として保存された「浪江町立請戸小学校」を訪問。津波に襲われた一階の様子が生々しく残されています。
15.5メートルの津波に襲われたにも関わらず、的確な判断と速やかな行動により、車椅子の生徒も含め全員が大平山に避難し、難を逃れることができたそうです。
そうして子どもたちが避難した大平山にも行ってみました。霊園と慰霊碑が建設されていました。
双葉町の駅前へ。ここは1年前に避難解除が解かれたばかりの場所です。ピカピカの駅。ピカピカの役場。
そのそばには2010年のまま時が止まった自動販売機、家、バス停などが並びます。
古いガソリンスタンドのそばにはピカピカで大きなガソリンスタンドが。
新しい家も建っているとのことで、「ReStart」「入居者募集中」と書かれた不動産屋の看板があったので、てっきり2023年の新しい看板かと思ったら、「原子力。明るい未来のエネルギー」の写真が。これは2010年の看板ですね。。。と、2010年と2023年が入り混じったタイムスリップ状況を見ることができるのは「今」しかありません。
2010年の消防署の隣には2023年の新しい消防署の建物が。なお、この古い方の消防署の扉、へしゃげていますが津波によるものではないらしい。津波だと外からへしゃげるわけですが、これは地震で開かなくなったシャッターをドカーンと開けて助けに出動したらしいです。
双葉町駅前にはアート壁画がたくさんあります。これは、アートを通じて復興支援を行うという取り組みとのこと。
車窓から見えた風景。壊れたブロック塀、柱以外がなくなったしまむら。
次に訪れたのは「とみおかワイン葡萄栽培クラブ小浜圃場」。
人口1.6万人から避難指示のため人口ゼロになった富岡町。帰町は始まったものの、居住届出数はまだ2,200人。まちづくりをゼロから行うことに。そこで、 ワインを通じてまちづくりをし、コミュニティを作ろうと町民有志10人でブドウ作りを始め、クラウドファンディングを実施。いまや、1,000人以上のボランティアが各地から集まるようになったそうです。
ご案内くださった細川さんは、甲府でワインを作っていたワインのプロ。「富岡イコールワインの街」にし、100年後に賑わいを取り戻すために移住してきたそうです。ぶどう作りは順調に収穫量を増やし、来年の夏にはワイナリーを開業するとのこと。
なぜ富岡でワインを?という疑問が湧きますが、実は富岡は気候風土がとてもワイン造りに適しているのこと。ワインのブドウを美味しく作るには気温差が大事なのだけれど、実は甲州は38度を超える日もあり、ぶどう作りが難しくなってきており、標高・緯度が高いところにワイン造りが移動しているそうです。その点、富岡は夏涼しく冬暖かい。
また、海沿いなので塩分を含んだ海風が吹き込みます。海風は塩害で枯れてしまうので田んぼにはよくないのですが、実はブドウはストレスをかけた方が美味しくなるとのこと。防御反応で皮が厚くなり、雨にも強くなる。
糖度が20度超え、ほのかに塩味を感じる、富岡の魚に合うワインが作れるのではないかと細川さんは期待しているそうです。「飲んでくれる人が笑顔になるワイン」を作り、ワインでコミュニティをつなげたい、とのこと。
ボランティアに参加したい方はこちらから:
富岡を想う⼈々が協働する⾝近な組織として、未来に向けたまちづくりをおこなう一般社団法人「とみおかプラス」へ。
富岡町は海と桜が見どころで、現在2,200人しか住んでいないこの街に、桜祭りのときには22,000人が来るほどの賑わいを見せるそうです。また、夏涼しく冬は雪も少なく住みやすい、とのこと。
ただ、人がいないのでお店ができない。お店がないので人が来ない。この悪循環を断つために行われている、色々な施策をご紹介いただきました。
富岡への移住を検討している人のため、とみおかプラスでは無料で最大5日、素敵なお試し住宅に泊まれます。キッチンには食器や調味料なども揃ってます。
また、起業支援金最大400万円、移住支援金最大200万円、移住検討時の交通費や宿泊費の補助も出るそうです。
どんな事業に来てほしいんですか?と聞いてみたら、「何もなくなった街なので、何でもできる街です。何をやっても喜ばれると思います。たとえば、服屋さんは一軒だけしかありません。リメークデニムのお店です。代行(夜飲んだ後に家まで送ってくれるサービス)をやる人がいないので、やればみんな喜んで使うと思います。」とのこと。
シェアハウスと食堂をやっている「Kashiwaya」さんでディナー。自家製ゆずこしょうハンバーグに楢葉のかぼちゃサラダ、ほうれんそうのエゴマ合え、大根の紅花甘酢漬け、冬瓜の味噌汁、ふわふわカフェオレを頂きました。楢葉のお米が絶品でした。
最後に工場夜景を見学。岩沢海水浴場から広野の火力発電所を見に行きました。ちょうど月もきれいに見えていました。
楢葉町、浪江町、双葉町、大熊町、富岡町、広野町。。。と各地を駆け巡り、様々な取り組みについて学ぶ、忙しい一日になりました。
福島県では、「来て」というキャンペーンを行っているそうです。
岩手県・宮城県は東日本大震災直後は「来ちゃダメ」だったのが、すぐに観光でもビジネスでも災害学習でも移住でもよいので「来て」に変わり、みんながどんどん行くようになりました。
10年たった今、避難解除が出ている地域も増え、福島県が「来ちゃダメ」から「来て」に変わって、声を上げています。
まちづくりをやっている人にとっては、ゼロからまちづくりをできるまたとない機会に。「何もなくなったので、可能性しかない」とのこと。
移住を検討している人には、手厚いサポートがたくさんあるし、移住者がとても多いのでよそ者扱いが全くない、住みやすい街なんだそうです。
興味がある人は、一度訪れてみてはいかがでしょう。